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妥子の留学体験記2

甘えん坊の妥子

打楽器のクラス

演奏旅行

ボブのレッスン

嵐の引越し パート4

引越しの時

Wulff先生のレッスン

コーチと選手

ケーキ

お料理

2年という留学期間

大学院卒業試験

ソリスト科入学試験

 甘えん坊の妥子


ドイツへ来て8ヶ月目位の頃に、この様な引越し騒動が続き、おまけにドイツ語も出来ない私は人と壁を作ってしまい、その結果、友達もいなかったのです。

打楽器科の学生は8人位いたけども、もちろんドイツ語か英語を話せないとコミュニケーションも取れないので、段々、自分から離れて行く様になってしまいました。練習のみ、ひたすら練習のみで、誰かと一緒に休憩するなんて事もなかった。

休憩すると言えば、必ず、日本語を話す事が出来る日本人の友達としてた。「せっかくドイツにいるんだから、日本人以外の人とお友達を作りなさい!」と散々教授に言われたけど、私にとってはそんな事より寂しさを紛らわしてくれる居心地の良い日本人の友達といる方を選んだ。

きっと教授が言いたかったのは、日本人と一緒にいる事が悪いという意味では無く、せっかく外国にいるのなら、他の国の習慣や物事の考え方などを話すと新鮮で面白いよっというモノだったのだと思う。だから日本人の友達も勿論必要で大切だけど、外国人の友達も作りなさいというアドバイスだったのでしょう。

その頃の妥子は、甘えん坊で誰かに頼っていないと何も出来ない様な情けない人間だった。だから日本人と一緒にいる方が気楽で、会話にも何の苦労もしなくていいんだからと、楽な方に自分の身を置いて行った。その頃は生活する事や周りの環境に慣れる事で精一杯で、他のことは何も見えてなかった様に思う。そんな弱い自分から少しづつ強くなって行った気がする。

引越しのことで散々嫌な目に遭って、そんなことを身体や心で経験すると、段々、強くなって来るモノなのでしょうか。。。。。

頑張って午前中の語学学校も欠かさず通い、そんな事から少しずつドイツ語も覚え、会話も出来る様になって来た。ドイツ人を目の前にすると緊張してしまい、変な言葉を言うと笑われるのでは、、、などと色々な事を気にして何も話せなかった私が、すこしづつ心を開いて相手の目を見て話せる様に成って行った。ドイツ語の進歩と供に段々自分も楽になって行き、徐々に外人の友達が増え始めた。

勇気と言うモノも身に付いて来たのか、いつのまにか恐いと思うものが無くなっていて、自分を出せる妥子になっていた。思い出して見ると、やっと私がドイツに来て1年経った頃だった


 打楽器のクラス


打楽器科というのは音大の地下に部屋が4つあり、そこへ学生が集まって来て練習をする。

その頃は、学生が8-9人もいたので、もちろん部屋数は足りなく、廊下や楽器室でも練習していた。毎日顔を合わせるし、休憩も一緒にするので、まるで家族の様な感覚になって来るものだ。

先生が親で私達生徒は皆、先生の息子や娘といった感じで誰が今日何をしているとかを全て知っていた。毎週一回は誰かの家で集まってパーティーをしていた。もちろん打楽器のクラスのメンバーで、、、、、、。

周りからも「特に打楽器科はいつも一緒にいて仲のいいクラスで羨ましいね。」と言われている程に本当に仲が良かった。

ドイツへ来てから1年まではそんな仲間達のことも恐かったし、妥子だけはいつもはずれていた。だから私が心を開く事が出来た瞬間から、みんなが私のことを受け入れてくれた様な気がする。

卒業まで後一年だけど、とても楽しい学生生活が送れるだろうと確信が持てた。そう思える様になると、何もかもとても楽しく感じられた。やっと”楽しい”という言葉が見つかった。


 演奏旅行


フライブルク音大はWulff先生がアンサンブルを活発に行うので、1年に一回は演奏旅行というものがあった。

初めてクラスで行った演奏旅行は、ドイツのリュ-べック、ハンブルク、ハノーファーのツアーだった。スティーブライヒのドラミングなどを演奏した。それぞれの土地で演奏会のあとの打ち上げの際、地元の美味しいお料理などを食べた。その頃から美味しいと感じ始めたワインを、皆と飲みながら語り合う楽しみも味わえる様になった。

リュ-べックでは、生まれて初めてディスコへ行った。沢山の綺麗な観光場所へも行き、何もかも新鮮で練習や演奏する以外の楽しみというのも知った。

それに”仲間”という意味はこういうことなのだと知った出来事が起こった。

とあるお仕事が入り、打楽器のクラス6人ほどで演奏することになっていた。練習合わせの頃から私は風邪をひいてしまい、他の人に迷惑がかからないよう黙っていた。それが演奏会の前の日、「みんなで明日は10時に集まって、楽器の搬入をしましょう。」という事だった。次の日10時に学校へ行くと、もう搬入がすっかり終わっていた。

「なんで?」私は時間を聞き間違えたのかと焦り、みんなに謝った。みんなは、「妥子が風邪をひいてるみたいでしんどそうだったから、少しでもゆっくりして来て貰いたかったので、妥子には1時間遅めの時間を言ったんだよ。」と、優しい笑顔で言ってくれた。

言葉をかけて心配するのではなく、行動で表してくれたという心使いに感動し、そしてとても感謝し、とにかくみんなの気持ちが嬉しくて泣いてしまった。

その頃の仲間達は、立派なティンパニー奏者としてドイツ中のオーケストラで活躍しています。


 ボブのレッスン


さてマリンバ奏者で有名なVan Sice氏(通称ボブ)がその頃フライブルク音大でレッスンをしていました。

彼はとても忙しい演奏家なので、1ヶ月に1度しか無いレッスンでとても貴重な時間でした。私は特にコンクールの嵐になり始めていた頃なので、もうすぐ行われるルクセンブルクマリンバコンクールに向けて鬼の様に練習していたのでした。ボブはそんな私を熱心に教えて下さっていました。

ボブは英語しか話せず、英語の苦手な私は、レッスン中はドイツ人の仲間に英語からドイツ語に通訳して貰ってレッスンを受けていました。ボブはとても元気が有って、おまけに皆を圧倒するエネルギーを持ち合わせている熱っつ~い先生でした。

レッスンを受けている生徒にとっては、とても良い先生でしたが、レッスンの後、まるで私たちはボブに生気をとられてしまったかの様にどっと疲れが襲ってくると言った具合でした。

そんなパワフルな彼だから世界的に有名なマリンバ奏者なんでしょうね。彼のおかげでもあって、ルクセンブルクコンクールで入賞、特別賞を頂きました!。


 お待たせしました、嵐の引越しパート4


「もう2度と引越ししないぞ~!」っと思っていたのですが、やはり事件が起こりました。

1年程、ここ(嵐の引越しパート3で出てきたお家)に落ち着いて住んでいたのですが、、、、、。そこは、映画に出てくるような大きな家で、一階は3つほどの大きな部屋に、大きな台所、勿論大きな地下もあり、2階は2つの大きな部屋、3階は3つの部屋にバスルームが有るといった感じで、私は2階の一部屋を借りていました。

部屋の鍵なので、普通の鍵では無く、大きな鍵穴で丸い鍵なのです。( 解かります~?)とにかく、私の一番言いたいことは、大きな鍵穴なので、部屋の外から覗こうと思えば覗くことが出来ると言う事なのです。

ある日、私は箪笥のお掃除をしていたところ、ドドドッと食器類が落ちて来てしまい、大変な割れ方で壊れてしまい、それに加えてすごい大音響だったのです。「シマッタ!」っと思い、割れたものを片付けようとしたと同時に、ふっと私の部屋のドアを見ると、なんとそこには、鍵穴の向こう側に「目」があるじゃないですか!!

「目、、、、?」っと思ってじーっと見てると、向こうで覗いている人の目と遇ってしまい、「えっ?」っと思った矢先その目が無くなって、トントンと階段を上がっていく音がしました。「キャー覗かれてたんだ!」っと思い、慌ててしまいました。すると今度は、またまた食器が落ちて来てしまい、再度、大音響と共に割れてしまったのです。

ふ~。。。

ということで、「1年間覗かれていたのかも?」という、不信感から引越しを決意したのでした。全くそれだけの理由で引越しを決めた訳でも無かったのですが、たまたま知り合いの日本人のご夫婦が引越しされることになり、そこの家を見せて頂いたら、とっても広くて音大の近くでもあったので、引越しを決めたのでした。

鍵穴

「ここの鍵穴は小さいので覗けませんよ~ん」


 引越しの時


1年以上も住んでいると何かと物も増えていて、車2台分になっていました。その時、私の仲間である打楽器科の生徒達が4人も手伝ってくれました。

前にも書きましたが、打楽器のクラスはとても仲が良く、家族のような関係だったので、気楽に手伝ってくれたのですが、彼らは何を勘違いしたか、私の住む部屋なのに、家具の配置場所について4人でもめだしたのです!

「あーでもない、こーでもない。」と、私をほっといて、勝手に討論しながら家具を並べて行くのです。「ちょっと待ちーな!」と言っても、聞いちゃ~いない。もう最後には諦めて、任せることにしました。(笑)

その新居は、2階に80歳のおじいさんとおばあさんのご夫婦が住んでいて、3階は仕事部屋として使って有り、さらにその上の4階の屋根裏部屋を貸して下さったのです。

屋根裏と言っても、3つの部屋、台所、バスルームが有り、とっても見晴らしが良く、風通しの良い所だったのです。素敵なアンティーク家具も高価そうな絨毯も有り、申し分無くいい所でした。ちなみに、家賃は700DM(当時で4万円くらい)でした。3つも部屋があったのに、とっても安かったのですよ!。

ここで御心配されている皆様に一言。
「その後、卒業するまでの3年間、ずっとここに住み続けました~!。やっとこさ何の問題も無く!!!。」

フライブルグ駅にて

国立フライブルグ音楽大学留学への第一歩は、ここから始まります。
(DBフライブルグ駅前にて)


 Wulff先生のレッスン


さて大家さんであるWulff先生としかご紹介してなかったので、ここで教授としてのWulff先生のレッスンをお話したいと思います。

習い始めの頃は、「妥子は、音がきたない!」とばかり言われました。そこでWulff流 “”脱力奏法“” を教えてもらうことから始まりました。つまりは音が硬すぎて、太鼓独特の深い音が出せなかった私に、なかなか撥を持たせてくれず 基礎運動ばかりする様にと指導されたのです。

例えば、両手を頭上に上げ、思い切り力を抜いて手を振り落とす練習。これが、簡単そうに思えてなかなか難しいのです。思いっきり脱力することが出来ず、手を振り落とす時もなぜか力が入ってしまうのです。

それから、ステップの練習。

ワルツ特有の3拍子のとり方が、小太鼓でなかなか演奏できず、まずは、ダンスのステップから教えてもらうことに、、、、。「なるほど!」っと言う様に3拍子が解かってきました。

後は歌のレッスン。

合唱曲練習曲集というものを取り出してきて、グループレッスン(打楽器生徒のみ)でソプラノ、アルト、テノール、バスに分けて、新曲視奏をしました。

これは、初めて見る楽譜を音をとりながらいきなり合唱をするというものですが、一番の目的は音楽性を身に付けるという事でした。簡単なメロディーから、いかに音楽性想像力をつけて歌えるか、というレッスンです。

こんな感じでなかなか撥を持たせてくれないレッスンが続き、さらに先生からは「妥子、練習ばかりしないで、たまには、美術館や博物館の見学、それに散歩や山登りなどして来なさい!」と言われる日々が続きました。それでも練習ばかりしていた私にWulff先生は、何度も口をすっぱくして言い続け、とうとう私は、徐々に色々な場所に足を運ぶようになりました。

今では、教授が私に音楽性を身に付けさせてくれる為に言った言葉なのだと痛感しています。ドイツ、ヨーロッパに居られるのは、留学している時だけなのだから、今の内に様々な場所へ行き、思ったこと感じたことを貴重な経験として後々の音楽性に結び付け無ければ勿体無い、と言う事に気がつきました。(その頃は留学は2年間だけで、すぐに日本に帰ると思っていたから!(笑)。

撥無しのレッスンはもっと盛りだくさんに有りましが、機会があればまたお話します!。

フライブルグ歴史博物館

フライブルグ大聖堂の迎えにあるフライブルグ歴史博物館の前でのワンショット。

フライブルグ歴史博物館

博物館の玄関の二階には大きくて立派な旗がかかっています。


 コーチと選手


私がルクセンブルク国際マリンバコンクールに向けて練習を始めた頃の話です。

Wulff先生はまるで、コーチのように私のスケジュール管理、体力管理をしてくれたのです。例えば、毎日毎晩、次の日に行う練習予定を私がみっちり立てて、それをチェックして下さるのです。一人で練習するわけだから、9曲ある課題曲の何を練習しても、いつ休憩しても自由なのですが、自由という時間を上手に使うことが出来なかった私に予定の立て方を教えて下さいました。

例えば、、、。
 8時~8時半 基礎練習。柔軟体操。
 8時半~9時  バロック音楽
 9時~9時20分まで A曲の難しい箇所(何小節目から何小節目まで)
 9時20分~30分  休憩
 9時半~10時15分  A曲
 10時20分~40分  B曲の難しい箇所

この様に21時まで予定を立てます。。。

 最初は、「こんなこと続けられるわけないやん!」
     「堅苦しいことしんでもええのに~!」
     「やってられへんわ~!」

と思っていたんですが、やり始めるとなんと効率のいい練習方法か。。例えば難しい箇所だけ20分と決めてやると、今まで難しいから放って置いた所も、忍耐力の無い私でも、20分の我慢だからと思い、集中して練習するのです。

すると~!。

今まで出来なかった箇所が演奏出来る様になるのです!。それに一旦休憩すると、なかなか腰が上がらず、だらだらとコーヒーを飲んでしまう事があったのですが、短い休憩、長い休憩とメリハリをつけて決めておくと、休む時はしっかり休めるので、効率が上がりました。「教授、なかなかやってくれるやん!」と偉そうに思ってしまいました。。。笑。

それから体力管理でも、いろいろなことを教えてくれました。

1週間に2回早朝7時から7時半まで水泳に行くのです。頭の中がすっきりして、朝から頭脳の回転が良くなり、すっきり爽やかな気分で練習に励むことが出来ました。(今ではこんな事良くやったな~と若かった自分にため息が出ます。。笑。)

皆さん、ひき肉を生で食べた事がありますか?。

北ドイツにひき肉の生料理というのがあります。「これは、筋肉強化にとってもいいんだよ。」と教授自ら、料理をしてくれたのです。フライブルクにある、ひき肉の生で食べられるお肉を売っている所まで買いに行き、6種類ほどの新鮮な香草をみじん切りにして、あとは、塩こしょうで混ぜるだけという簡単なものなのですが、、。最初見た時、「こんなもん、食べれるかー!」と心の中で訴えたのですが、わざわざ作って頂いたものを食べないわけには行きません。

先生がまず食べたのを確認してから、一口だけまず食べてみました。

新鮮な香草がたくさん入っているから、お肉の臭みも無く、お肉も新鮮だったので、少しですが、食べられてしまいました。教授は「これを2週間に一回は朝食に食べた方がいいよ。」

「朝食に????!!!!」

コンクールの半年前から、こんな事を始めていたのですが、さすがに、朝食にこの食べ物を口にすることは、ありませんでした。。。教授、ごめんなさい。。。

まだまだ色々な事をコーチとして教えて下さったのですが、また次にお話しますね。

ミュンスター(大聖堂)

フライブルグのダウンタウンに有るミュンスター(大聖堂)の前にて。
ココの周りを走った事も有りましたが、すぐ止めました、、、笑。だってドイツの冬は寒いんですモン。


 ケーキ


私は当初、甘いものが大好きだったのですが(今もです、、笑。)、ドイツのケーキはまたまたごっつい!(大きい)のです。

フライブルク(西ドイツ)で有名なケーキ(Schwalzwald Kuchen)と言って、さくらんぼのリキュール漬けが、ココアスポンジと生クリームではさんであるのですが、これがまたと~っても美味しいです。一度こちらに来たら食べてみて下さいネ。

そこで私がどうしても納得行かない事があるのです。

こちらの喫茶店でケーキを注文すると、必ず絶対どこの喫茶店に行っても、フォークがケーキに突き刺さって出て来るのです!。それもケーキの横を“グサッ”っと刺してあるんですよ!。見た目も悪いし、せっかくのケーキが台無しになってしまうじゃないですか~!。

最初は本当にショックでした。今は慣れてしまったのですが、実は未だにショックです,,,,,,,笑。

ケーキ

こんな風にフォークがぶっ刺さった状態で、ウエートレスさんが持って来ます。
ヤッパリ、ショックかも、、、、、、。


 お料理


だんだん生活するペースに慣れてくるとお料理をすることにも興味を持ち始めました。

練習が終わると、日本人のお友達同士で集まって皆でご飯を作ることも増えました。

フライブルクにはアジアショップと言って、日本食が少し置いてあるお店がありますやはりお値段高めですが、割と必要な物は揃います。

皆で集まって作ると面倒臭いと思うお料理も早く出きるので、私達はよく餃子に挑戦しました。餃子の皮は売っているので、私達流の餃子を作るのです。フライブルクで餃子が食べれるなんて思ってもみませんでしたが、手作りは、とっても美味しいのです。たいてい4-5人で作るので、あっという間に出来て貧乏留学生には有り難く安い材料費で出来てしまい、助かりました。。。

それから私がハマッテしまったのは、ケーキ作りです。

台所に大きなオーブンがあったので、よくロールケーキや、クッキー、友達の誕生日ケーキなどなど作りました。その頃の私のストレス発散方法としてケーキ作りに勤しんでいました。それから発展していって、パンも自分で焼いて、なかなか凝ったことにも挑戦していたのです。作ったものの、自分で食べるために作るのでは無く、ストレス発散の目的で作るので、出来上がったものを友達に御裾分けとして持っていくと、「やっちゃん、またストレス溜まってるのね!」と、もう見抜かれている程、ストレスが溜まると作りまくっていました,,,,,,,笑。

ケーキ作り

私がお料理ばかり作っていると彼らにはすぐ見抜かれてしまいます。「やっちゃン、またストレス溜まってるのね、、、。」っと、、、、笑。 お二人ともお歌だけでなく、お料理もとても上手です。

 神田守章さん(バリトン),,,,,,,,,,,,写真左。
 与儀綾子さん(ソプラノ),,,,,,,,,,,,,写真右。
 中央は私、宮本妥子(打楽器)です。
少々ワインの飲み過ぎの顔してます、、、、、笑。


 2年という期間


大学院での2年間もあっというまに過ぎ、やっと言葉や環境になれて、これからしっかり練習、レッスンに励める・・そんな時期なのです。

留学した人は誰もがそう思うんじゃないかなぁ。。

当初は2年だけドイツに居て、日本へ絶対帰ると思っていたのに、もっと勉強したいという意欲が涌いてきてしまって、ついにソリスト科の受験をする決心をしました。


 大学院卒業試験とソリスト科


ソリスト科というのは、大学院を修了した人だけ受験資格があります。

受験生は様々な楽器奏者。弦楽器、ピアノ、声楽、管楽器、打楽器などなど、すべての人がライバルになるのです。

大学院までは、各楽器ごとに試験があるのですが、ソリスト科はぜ~んぶ一緒に試験があり、審査員はすべての学科の教授が10人程ずらりと並びます。どんなに緊張するか~。

音大のコンサートホールで一人20分ほどの時間内で演奏します。1年に2回、夏と冬に入試があるのですが、大体30~50人ほどの志願者のなか、たった3人~多くて5人ほど合格です。どれだけ厳しい状況でしょうか。

受ける方のプレッシャーは相当なもんなんです。ちなみに私は大学院の卒業試験の後、数日後にその入試を受けることになっていたのです。

が、その卒業試験も結構つらいの~!

リサイタルといって、1時間半ほどのプログラムを演奏。その一週間後にはレパートリー試験といって、2年間勉強してきたすべての曲を紙に書いて提出しておき、当日その場で「これを弾きなさい、あれを弾きなさい!」と言われその場で演奏するというものがあります。

これは前の日まで全部の曲に目を通しておかなければならないので、ほんまに胃が痛くなるんです。とくにピアノ科の人は暗譜で、それをこなさなければならないので、もっと大変です。偉い、ピアノ科!という感じです。

私の場合、今だから告白しますが、Wulff先生に何気な~く「何弾くのかな~?ん?」とか事前にこそっと聞いておきました。

ずるいなぁ妥子!

でも、でも、その時期はたくさん練習しなければ間に合わなくなり、試験の時期はみんなストレス溜まって神経質になるか、ハイになってしまってヤケクソになって図太くなるか、どっちかの精神状態です。

私は後者の方だったと思いますが、なんとか無事に終わり、Auszeichnung(優秀な成績)というものを頂きました。これはリサイタルとレパートリー試験と両方とも何点以上取らないと貰えないそうです。点数はもう忘れたなぁ。。。


 ソリスト科入学試験


ソリスト科の合格率のことを思い、私は事前に打楽器科のクラス全員にお別れのプレゼントを買っておきました。

入試が終わったその日の晩にWulff先生をはじめ、みんなで学期末のしめパーティーをすることになっていました。私が受からなければ、ここで夏休みに入り、みんなに会うことはなくなると覚悟していたのです。夏休みは生徒達みんな実家に帰りしっかり休みをとるので、音大には姿を現さなくなります。その間に日本へ帰国かぁ・・・とも考えてました。

大学院卒業試験から1週間もたってなかったような気がします。すぐ入学試験日でした。さすがに緊張しました。私にとって、ドイツに残れる最後のチャンスだと思ってたから。

受験する曲が卒業試験と違う曲だったこともあり、最大限の時間をつかって練習したつもりだったけど、心に余裕がなかったのです。自分自身にプレッシャーを与え、余計に自分を苦しめる状況にもっていってました。

そんな時、助けてくれるのが打楽器科のメンバーです。

入試に使うために必要な打楽器が山のようにあり、それをコンサートホールまで運ぶのに一苦労なのですが、わざわざ手伝いに来てくれて、応援して励ましてくれました。でも絶対「頑張って!」とは声をかけないです。しょうもない話で気持ちをやわらげてくれて、最後に

「Viel Spass!」(楽しんでね!)って言ってくれました。

「そっかぁ、、今さらバタバタしてもしょうがない、楽しもう、審査員に少しでも楽しい音楽を聴いて頂こう~!」と偉そうにほんまに偉そうに思うことにしました。

打楽器ソロ、マリンバ、ビブラフォンを演奏しました。最初の2曲はそれでも緊張して自分がやりたいと思ったことが十分表現出来なかったけど、最後のビブラフォンは開き直り自分の音に耳を澄まして、ブルースを奏でました。ホールの響きが助けてくれて、その演奏には審査員の教授達も耳を澄まして聴いてくれるのが伝わってきました。いい気持ちだった。

打楽器奏者というのは得なのでしょう。結局点数が一番良かったらしく、合格しました。心から嬉しく思いそして感謝し、新たな気持ちであと2年間無駄のない留学生活を送ろうと決心しました。

最後だと思ってお別れにみんなに買ったプレゼントは持っててもしょうがないので、みんなに配りました。みんなは「なんで?なんでくれるん?いいん?」と言ってそれ以上聞かずに、さっさと受け取ってくれました